こんばんは。
先ほど「野村ノートの読み方」に書かれた「才能」に関して、「ずいぶんサッパリと書かれています。この本は2000年に出版なので今から24年ほど前のものです。これだけ見ると、才能とはどんなものか、「姿」はあまりよくわかりませんが、そんなものだったのかもしれません。」と書きました。
しかし、
まだ続きがありました。
「限界のカベを破る5つの方法」と題して、
第一項目に「誰でも、他の人と比較して、何か”いいもの”を持っている。それに気づき、もっと自分にほれ込んでみる(p-128)」と書かれています。
これは、鈴木祐さんの言う「グループ内の「かたより」」に気付いた状態だと思われます。鈴木祐さんは、このようなかたよりを「才能」と示しているので、野村ノートでいう限界のカベを破る方法は「才能」とイコールなのかもしれません。
ひょっとすると以前の「才能」に関する認識は、鈴木祐さんや八木仁平さんの言うように、現在のものとは異なるものだったのかもしれません。
私はこの解釈を確認してから、自分の「才能」に関して見直すことが出来ました。
「才能」とは、絵を描く才能、走る才能、カメラの才能、ラジコンの才能といった解釈ではないと感じました。
私は「自分の考え方を言語化し、正しいかどうか確認し、自分自身に問い、書物で確認し、言語化をまとめ、それが概ね正しいかどうかを実生活や仕事で確認し、修正し、再度言語化を繰り返す」ことが自分の言語化の実験として、非常に楽しいことが分かりました。
そして、ものごとを繰り返し、継続することや、出来ると信じることができるのが、私の「才能」なのだと思いました。