たびたびですが、こんばんは。
小学校の頃、多摩川の源流が気になったことがありました。
私の実家は武蔵小杉で、多摩川のすぐそばでした。
川が好きで、よく土手で遊んだり寝転んだり、野球をしたりしていました。
ある時、自転車で多摩川の上流に向かって走っていたら、だんだん川の周りに背丈の高い草がたくさん生えていて、上流に向かうにしたがって風景が変わることに魅力を感じました。
※写真はイメージです:帷子川です。
夕焼け空という演出もあって、何か新しいことを知ることが出来た、と妙にやり遂げた感覚を覚えています。
そのあとから、休日の野球部がない日に、朝早く起きて上流を目指して時間のある限り走ることを続けました。
当時、府中あたりまで走っていたのを覚えています。
細い車道や曲がりくねった道、途中で川から外れたりしながら、川に沿って並走していました。ただ、源流までたどりつくはずもありません。
※写真はイメージです:帷子川です。
高校生になった時、友人と奥多摩まで自転車でキャンプに行きました。
その時、どのあたりまでかは覚えていませんが、確か多摩川の上流でキャンプをしました。
結局、源流を見ないまま今の年になりました。
いつか源流を「この目で見たい」と思いました。
これが、私の幼いころからやり残していたことの一つなのかな、と思いました。