早いもので、もう6月になりました。
何年も前から、何かを得ることを、特に社会的な期待に応えようと、進歩を望んで生きてきました。ただ、その期待や進歩という言葉は、とても綺麗に見えていましたが、私にとってはとても厳しいものでした。また、その希望や進歩が、あたかも自分自身の決断や考えだと思い込んでいた、もしくはそれを守らなければ不都合が起きると、無意識に知覚していました。
今の私は、そのような希望や進歩は、実は虚構だったと確信しています。なぜならば、 私が、そのような考えではなく、ある意味自由に生きていても、何ら不都合やそのような状態は、見られないからです。